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54才の留学生

悲報を知ったとき、ひざから力が抜けていった。

それは、あまりにも突然のことだった。

娘の学校行事に交通渋滞で参加できなかった経験から、家族と一緒に大事な時間を過ごしたいからと利用していたヘリ移動

この日も最愛の娘と一緒に娘の試合会場へ行く途中

通常報道ヘリなどは飛べない悪天候の中、特別ライセンスのある信頼できる操縦士との飛行

いろいろなことが重なった瞬間…..

もっと彼の事を知りたかった

もっと彼の事を応援したかった

彼がよく練習していたOCにある体育館に行ったことがあるのと、何回か日本で彼のプレーをテレビで見て軽快な動きが心地よく思え、名前を覚えたスーパースターだということぐらいしか接点はない。

でも、

マイケルジャクソンが亡くなったときと同じ様な深い深い喪失感

人の偉大さは、命が尽きた後も広く世に知れる事でより大きくなる

ちょうどグラミー賞の授賞会場がレイカーズの本拠地であるステイブルズセンターになっていたこの日。

午前の悲報は直ぐに広まり午後には、ステイブルズセンターには多くの人が彼を思い集まった。

街はチームカラーの黄色と紫にライトアップされ、ホテルには黄色と紫の旗がなびき、公共機関のバスの行き先表示には、

RIP KOBE

学校でも先生たちは朝、その悲しみに目を赤くしてクラスに入ってきた。彼がつけていた背番号「24」のリストバンドをしている先生もいた。

彼は偉業を成し遂げ、それに伴う犠牲を惜しまずその責任も引き受け、愛を降り注ぎまた愛された人だったのだろう。

残されたご家族が少しでも心を休ませることができますように。

人を愛すること、愛されることについて改めて考えさせられた。

不可能を可能にかえる瞬間を幾度となく目撃させてくれた。

強い信念と鍛えた技とカリスマ性を存分に楽しませてくれた。

スーパースター その名にふさわしい輝きを放っていた。

コービーブライアント…..

RIP KOBE

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