2Mar
今、ウクライナで起きていること、
そう、これは「戦争」だ。
歴史の教科書の中で、
実際に核兵器による攻撃を受けた国として、
終戦記念の行事の中で、
選挙の街頭演説の中で、
ドキュメンタリー番組の中で、
至る所で、「戦争」について学んできた。
二度と起こしてはならないものとして。
だが、現実は簡単にそのハードルを越えてしまった。
まぎれもない「戦争」が、今、起きている。
そこでは、武器を持たない市民と武力を持って対抗する人びとの境界線はない。
子供と大人の境界線もなければ、軍需施設と病院の境界線もなくなるのだ。
誰にとってもごく普通の日常の中に「戦争」が踏み込んできたのだ。
「戦争」の前には、巻き込まれた一般市民や子供の犠牲者の数は意味を成さない。
人の命は、市民も兵士も大人子供も違いなく尊いものだ。
そして境界線なくすべてが「戦争」の下敷きになるのだ。
「戦争」の産物は勝敗ではなく、問題解決でもなく、耐え難い多大な犠牲である。
「戦争」を自国の治世におけるカンフル剤として、政治利用してはならない。
大国であれ、歴史の古い国であれ、世界的に影響力の強い国であっても。
コロナVirusの出現で、世界中何ら隔たりなくその影響を受け、世界が一つになって立ち向かっている最中で、我々人間は何を学んだのだろうか。
こみ上げる思いを力強く語るゼレンスキー大統領の演説や、
一般教書演説での熱量のあるバイデン米大統領のスピーチを聞いていて
どの言語を話すかより、どれだけ内なる思いを自分の言葉で表現し伝えようとするか、
その言葉の持つエネルギーの強さを、
改めて感じた。
私たちは対岸の火事の見物客になっていてはいけない。
”ペンは剣よりも強し”
The pen is mightier than the sword.
そして個人個人の小さな声が世界を動かすと信じている。
いろいろな形で意思表示をすることが大事に思う。
だから、私はスポーツにおいての対ロシア方針に賛成だ。
勿論ロシアの各スポーツ選手が意図した戦争でも、彼らに敵意を持っているわけでもない。
だが、スポーツと政治をこの「戦争」下で切り離すのは、おかしい。
不公平ですらある。
実際にウクライナのサッカー選手は爆撃によって亡くなったと聞いた。
真実は時に見る角度によって様々な面を持ち合わせる。
しかし、もっと広く見渡せるところから全体を見ると同じひとつの真実に出会う。
独りよがりな考えに固まらないよう、発信と受信の中で地球人の一員でありたい。
”地球は青かった”
人類初のソビエト連邦の宇宙飛行士ガガーリンの言葉だ。
これは誰にとってもひとつの真実だ。
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